平日代休の時間よ止まれ

休日行事に伴う平日代休のため、今日は我が子も夫もいない平日代休。

 

 

登園時にいつも通る道が工事中で全面通行止めになっていたので、迂回して送っていき、家に帰るのにまた同じ全面通行止めの細道に差し掛かってしまい「あ、ここさっき通行止めだったから迂回したんだった」と気づく休日です。

 

 

園への送りが終わって、山のような洗濯物を干して、掃除したら、子どもの習い事の振替をして、耳鼻科に連れて行ったら一日が終わる予定です。

 

 

 

こんな平凡な休日をただただ普通に過ごせることは、ありがたいなぁと思います。

 

 

 

 

冠婚葬祭で新しいものを見聞きしたり、行事後の打ち上げで諸先輩方と話すうちに、「子育てのゴールとは」「子どもが小さいうちにしておくべきことは」と考える機会が続きましたので、忘れないようにアウトレット(予測変換恐るべし)、いやアウトプット。

 

 

 

 

子どもが小さいうちから経験しておくべきって、やっぱり社会を見せることだなぁと思います。

 

 

 

 

 

大人になってから急に大人の付き合いを始めなさいと言われてできるわけがない。

 

 

 

 

社会の中で生きるんですから、人付き合いの場面は多く見せておきたい、経験させておきたいものです。それは、同年代の中でも、異年齢層の中でも、実際の経験でしか身につかないもの。

 

 

 

 

 

 

臨機応変な対応を肌で感じて、失敗も重ねて、可愛がられる振る舞いを、身につけてから大人になってほしいと切に思います。

 

 

 

 

それと、やっぱりお手伝い(というか家事)ってさせるべきだなぁと思います。これは、下手な勉強よりもすごーく大事と思う。

いつか我が子が受験だ部活だと言った時には、「家のこと、自分のことをきちんとする」確約のもと、させたいと思うくらいです。

 

 

 

 

本当にいい環境を整えてもらって、勉強と部活だけしてきた人が、トントン拍子に仕事について、周りにしてもらうことが当たり前という感覚が抜けずにいたりすると、もったいないなと思うことがあります。

 

 

チームで仕事をしていて「仕事の総量 − 自分の仕事 = 誰かがしてくれている仕事」という簡単な公式を分からずに大人になってしまうと、そこから教えなければならないことも。

 

 

「今、自分にできること、相手がしてくれていること」を見つける力がないと、周りに感謝もできない。

 

 

 

 

 

だからこそ、家事をチームでしていくことで、モノゴトを見通すチカラが育つ。

それさえあれば、先に回って仕事をこなしていけるし、結果的に諸先輩が方が何年も苦労して得たことをスルッと教えてもらえる、ラッキーなことが起こったりして。

 

 

 

 

 

かく言う私は、三人姉妹の末っ子で、手伝いもほとんどせずに大きくなった結果、見通すチカラにかなり欠けていて、子育てをして初めて見通すチカラをきたえることになり、我が子にも迷惑かけています。

 

 

 

 

まぁ、勉強なんかは、人と付き合う上で話のタネになる程度にはできたらいいなと思います。

同じモノを見ても、知識の有無によって見え方が違いますから、知識は多いほど豊かに生きられるだろうと思います。

 

 

 

 

 

だけどそれは詰め込むものじゃないし、本人が必要となれば吸い込みたいものを吸い込むだろうし、親には子どものニーズを感じていくしかできないなぁと思う毎日です。

 

 

 

これから、選択を迫られることが起きても、「どう生きるか」の価値観をしっかり示して子どもの選ぶ道を応援し続けられるよう、私は親業以外の自分の仕事、自分の生活を充実させたいと思います。

「わが子よ、頑張れ!決めるのはあなた。ただし、この基準においてのみ母は譲れぬところがあります。」と示せるよう、生きていきていきたいと思います。

 

 

 

そんなことを考えながら、久しぶりにひとり静かなランチです。

 

 

 

誰かの役に立つ仕事について、みんなのために働ける面白い人間になるために、あなたは今勉強するんだよって明日からも伝えるために、今日も今日でボチボチいきます。